2103-2150 亀戸駅-平井大橋西 - 2011.3.11 東北地方太平洋沖地震での徒歩帰宅記録


2011-03-11 に発生した東北地方太平洋沖地震で、交通機関がマヒした時に徒歩帰宅した記録です。東京都 大崎から千葉県 市川まで歩行しました。

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2103 総武線 亀戸駅 ここでも、東方向に進むパスを探す。無い。電車が止まったままなのはここでも確認する。そろそろ終バスの時刻が近付いている。待っても来るのだろうか?


2105 総武線 亀戸駅 この辺は渋滞が激しい。進行方向に進めず、交差点で転回する車を見る。ここでも運転を中止した電車を確認する。


2112 東武 亀戸線 踏切 旗は亀戸五丁目町内会 幹線道路を離れて歩き続ける。不気味に暗く、列車の音が全くしない総武線の脇を歩き続け、東武亀戸線を渡る。いつもは電車から眺めている景色の中を歩いている。本当に電車は走っていないのだろうか?もう、何度も止まったままの列車を見ている。心の奥底では、総武線の線路を何事もなかったように何かが通過しないかと期待していた。


2115 東武亀戸線 踏切 もう一度踏切を渡る。方向感覚は正しいだろうか?道の方向を確かめる。コンパスは線路近くでは使えない。


2116 江東亀戸五郵便局より南側 崩壊しかかった建物を発見する。地震で完全に崩れていない。周りに散らばるモルタルのかけらの断面と壁に露出した材木の風化具合を観察する。古いものと新しいものが混在している。この建物が地震で崩壊していないということで、祖母の家が崩壊していない事を確信する。民主党のポスターが貼られている。崩れかかった家に貼ることは無いだろうに。国民の生活が一番?だとして、この様な崩壊が結果なのか?


2122 江東区 蔵前橋通り 新小原橋 東武線を跨ぎ川を渡るため、蔵前橋通り(幹線道路)に出る。普段は車が猛スピードで抜けて行き、歩行は命がけの道に人の流れが出来ている。自分が立っている場所が本来の歩道だ。徒歩帰宅マップで経路として示されていたのだろうか?実際に通ってみないと、事情が分かり難い所だ。


2123 江東区 蔵前橋通り 新小原橋 高架下 渋滞は依然として続いている。中心部で見てきた渋滞よりは緩和された状態だった。方向によっては人は疎らになる。


2126 江東区 蔵前橋通り 江東新橋 幹線道路の橋に人が集中する。旧中川を渡る。ここから先新小岩までは適当な裏道が無く、車の排ガスの中ペースが乱れがちな人の流れに乗るしかない。消耗を覚悟する。


2133 江東区 蔵前橋通り 平井5丁目5 新聞配達店の脇を通る。既に号外は 4 枚になっていた。ショーケースの花飾りの中に次々に深刻な事態を伝える紙面、普通の生活の中に突如未知の大災害が挿し込まれつつある。途中トイレを貸す店を見つけている。整体院だったか、リピーターを期待できない通りすがりの人たちしかいないのに、そういう店が有る事だけで安らぎを覚える。


2135 江東区 蔵前橋通り 平井駅出口交差点より西側 まだ人の流れは続いている。ペースが少し遅くなったのだろうか?2, 3 人のグループ行動をとっている人たちもいる。都心からここまでグループで結束して行動できるのだろうか?ペースも違うし、何かしゃべりながらだと、集中力も欠く。


2136 江東区 平井駅出口 交差点より駅側を見る 何度も電車が止まっていることは見ているので、ここで駅を目指す事はしない。遠くから眺めて、蔵前橋通りを進む。


2142 江東区 蔵前橋通り 平井大橋 西側 荒川・中川を渡る。人が集中し、流れは一層遅くなる。多くの人はそのまま車道脇を進んで橋に上がってる。橋の袂に小さな公園が有る事を覚えている。ここで休む事に決める。先を急ぎたい気持ちを押さえ、足を温存しよう。


2150 江東区 蔵前橋通り 平井大橋 西側 高架下 暫く休む。途中で買った干しブドウを食べる。ペットボトルの水も補給する。荒川・中川を渡りきった時の達成感は今すぐにでも得たい。それでも休む。休んでいれば、帰宅は 0 時を過ぎてしまう。でも、この事態に於いて 0 時と言うのは何の意味もない。今日・明日と言った区切りは自分の状態に何ら変化を与えない。橋の上では画像を撮らないと決めた。人の流れを遮ることは出来ない。風邪も強く、落下の危険もある。何より、強風による体力の消耗を避ける必要がある。


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