2011-03-11 に発生した東北地方太平洋沖地震で、交通機関がマヒした時に徒歩帰宅した記録です。東京都 大崎から千葉県 市川まで歩行しました。
1700 御殿山 明らかに行きかう人が多い。道路も渋滞気味だ。この時点ではそれ程事態は悪くなく、歩いても何とかバスなどを使って負担を減らす手段も有るだろうと考えていた。
1701 御殿山交番 道を尋ねる人を見る。地震からまだ 2 時間半程しか経っていない。従ってここに来る人も半径 10Km 以内のはずだ。山手線内なので迷っても檻の中の様なものだ。もう迷っている人を見ると、混乱の予感がしてくる。自分も品川駅までの道を聞かれる。
1705 品川・八ツ山橋 京浜急行線内に車内灯を消して放置された列車があった。八ツ山橋を塞ぐ形で止めてあり、交通への配慮もなく停止さる決断が下った事を知る。浅草線・京成線の運転は絶望だと知った瞬間だ。道路の渋滞が想定以上になる事を予感させる事態だった。バスも足止めされていて、パスを使う手段は現実的ではない可能性も考える。
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品川・八ツ山橋 止まった電車を再確認 C-Flyer だ。後で考えるとこの場所で電車を止めるのが妥当なのか考えさせられる。脱線したり、落下した場合下は JR 線であり作業は困難だ。
1711 京浜急行 品川駅 構内に電車が残っている。電車を進める事が出来なかった理由が分かった。北総経由の空港特急だ。道の混雑が一層激しくなっていく。この画像より
WB を弄ったと思う。
1714 品川駅構内 囲みが有るのは天井構造物(多分照明)の落下危険が有るためと放送されていた。シャッターが閉ざされ入場は不可能な状態だ。運行していない事は会社の中で情報を得ていた。しかし、改札さえ閉鎖してしまう事態だとは考えていなかった。
1714 品川駅構内 京浜急行線 京浜急行線下り車両が
1両分程ホーム外に出たまま止まっている。普通の地震だったらここで止める理由は無い。心配そうに線路を見る人々がいる。
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泉岳寺駅 入り口から閉鎖されていた。浅草線の運行再開も無理そうだ。おおよその歩行ペースが実感として湧いてくる。30分で 2 駅だ。これより遅いと、帰宅は翌日になる可能性も高い。人の流れでペースが乱れ、排ガスを吸い体力も想定より減っている。
1730 泉岳寺 対向する人の流れが減るかと期待して反対車線側へ移る。これでも少なくなった方だ。
1731泉岳寺駅 東海道新幹線を見る 東海道新幹線が止まっている。線路上で人を下す事なんてほぼ想定していないはずなのに。
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三田 地理的には田町駅と泉岳寺駅の中間付近 歩道が狭くなり人の往来が遅くなっている。コンビニに立ち寄る人がいる。見ていると職場で籠城を決める人たちの買い出し、帰途の腹を満たすための買い出しが多そうだった。帰宅の途で飲む飲料はなるべく喉が乾かない物が良い。だけど、甘みが強いものを求める人を見る。喉が乾きやすい。パンなどやはり喉か乾きやすいものを求める人も見る。途中の飲食店で食べる人も見る。地震直後でも飲食店の営業が続いている事は、色々と考えさせられる。食を満たすのは良い事だけど、余震で同程度の揺れが来た場合は火災の可能性が高く危険な行為にもなる。
1741 札の辻 国道一号への分岐手前ヘルメットをかぶった人も見る。窓ガラスが落ちる可能性を考えると大通りを通るのも、安全ではない可能性がある。歩道橋に人が溢れている。
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三田駅・田町駅駅を出入りする人・バス停で待つ人で混雑していて歩行速度が遅くなった。既にパスを使う希望はほぼ無くなったが行き先を調べる。西の方に向かうバスだ。自分が向かう方向と違う。
1751 都営浅草線 三田駅構内に入る。待っている人、説明を受ける人。駅員が地図を広げて応対している。動いている電車は無い。三田駅に入って幾つか教訓を得る。出口案内が現在位置、目指すべき方向を得る良い情報になる事だ。地上に比べて比較的落ち着いていて、リュックの中を確かめたりする間も得られる。ただ、今反省してみると津波が来た場合は真っ先に水が流れ込み地上に出る事は不可能になる。止水ゲートをどの地下鉄も立てていなかった。
1755 芝 4-16裏道に入る。幹線道路の混雑がとは対照的に落ち着いている。歩行速度も自分のペースか守れる。次の了善寺までの間に使い捨てマスクを 2 毎重ねに装備した。カメラのプレからも分かる様に、そろそろ日没を迎える。行動の安全性はやや低下する。
1801 了善寺 東京都港区芝1丁目13-22 丁度田町と浜松町の間になる。駅間が延び、次に辿りつくべき目標が遠のくと不安を感じるものだ。表通りは人通りと車の渋滞で歩くペースが乱れ、排ガスも濃い。歩くのはやはりしんどい。